時を経ても色あせない「言葉」がある それはかけがえのない英雄の記憶

サッカーの名言

柿谷曜一朗

将来ミスターセレッソになる

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柿谷は23歳という若さでで一つの夢を叶えたことになる。
大物になった男の発言は重みがあり名言と化す。

柿谷曜一朗は4歳からセレッソのスクールでサッカーを始め
2006年にセレッソ史上最年少の16歳でプロ契約となった。

AFC U-17選手権では優勝を飾り大会MVPに選ばれた。
華麗でダイナミックなプレースタイルから天才と言われた。

セレッソでは同年代の香川とプレーすることになったが、
香川の活躍をよそに徐々に柿谷の名前は消えていった。

原因はメンタルの弱さだった。

試合に出れないことやプレー面で苛立ちを隠せず
ピッチの内外で無責任な行動をおこす。

そして無断遅刻を繰り返したことにより
当時のクルピ監督はJ2徳島へレンタル移籍させた。

移籍当初は徳島でも結果を出せずにいたが
支えてくれたチームやサポーターと共に成長した。

はじめは興味がなかったチームで参加するイベントの
徳島阿波踊りにも積極的に参加するようになった。

J2の3年目ではチームを自ら引っ張る存在になり
徳島を最高順位の4位まで導いた。

その活躍はセレッソに戻った後も続く。
即座にJ1のレギュラーを勝ちとりゴールを量産。
そんな柿谷に海外からのオファーが殺到。

柿谷は「98%海外にいくつもりやった」と話していたが、
ミスターセレッソの代名詞である
セレッソの伝統の8番を受け継ぐことが決まり残留を決断した。

「将来ミスターセレッソになる」の夢が実現したのだ。

4歳からセレッソでプレーし続けた柿谷にとって
セレッソで8番を背負うことは海外移籍よりも憧れの舞台でありプレッシャーでもある。

t天才と言われた後に挫折を味わった遅咲きのエースが
日本サッカーの未来を変える日は近い。

-柿谷曜一朗

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